まりもっこり日和

本・漫画・映画のレビューと日々のつれづれ。

つくり手の顔が見える、という価値。

2018年1月末、高崎のREBEL BOOKSで開催された、夏葉社・島田潤一郎さんのトークイベントに足を運んだ。
1/21 『よい本を作って売る – ひとり出版社夏葉社のはなし』 – REBEL BOOKS

f:id:marimoccoli:20180301125329p:image※画像は、上記HPより拝借。

鈍行で3時間、このためだけに高崎へ。
そんな私を、人は酔狂と言うかもしれない。

まさに酔狂、私はこの夏葉社さんの本が好きだ。

 

夏葉社とは
夏葉社とは、2009年に島田潤一郎さんが吉祥寺で創業した、ひとり出版社である。
2009年の開業以来、関口良雄『昔日の客』をはじめとした昭和の名著の復刊や、本屋図鑑、かわいい夫といった気鋭の作家の作品に至るまで、派手さはないけど、心に残る、何度も読み返したくなる本づくりを続けている。

厚すぎず大きすぎない本のサイズと、読み手を圧迫しない適度な余白、飾りすぎない、作品の世界観にしっくりくるシンプルな装丁。
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鞄の中に入っていると思わずうれしくなる、読み終えるのが心惜しくなる。

この本たちを、一体どんな方が作っているんだろう?
その好奇心だけで、高崎まで足を伸ばしたのだ。


「簡素で、美しい本をつくりたい」
創業の経緯、夏葉社の本作り、夏葉社のこれからについて語った後、島田さんは静かにこう話した。
島田さんの言葉は、島田さんが作る本と同様に、とてもシンプルで、それゆえに心に響くものだった。

 

お金を払って買う本と、無料で手に入る情報。

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本は、情報と等価ではない、と私は思う。
ただ、無料で洪水のように浴びる文字情報との差別化は、年々難しくなっているように感じる。

そんな時、本にお金を払う価値を見出すきっかけの一つは、つくり手との接点なのかもしれない。
つくり手にお会いすることで、好きな本の物語だけではなく、その本ができあがるまでの物語や、つくり手自身の物語を楽しむことができる。
直接の対面ならではの、その場限りの質疑応答で、本やつくり手の意外な側面を垣間見ることができる。
1冊の本を、数倍楽しむことができる。

インターネットで文字情報の洪水に晒されている今、何に価値を見出して、本にお金を払うのか?

「つくり手の顔が見えること」は、それだけでも、大きな付加価値だなぁと感じました。

ひとつ執着を手放すと、他人の執着が見えてくる。

f:id:marimoccoli:20180209080023j:image丸7年勤めた会社を退職する決意をした。上司に意向を伝えて、時期や引継ぎ等、具体的に話を進めている。

 

退職時期を固めた、昨年末。

退職までのカウントダウン、たとえ納得がいかないことがあったとしても、すっと受け入れて働こう、と決めた。

今の部署に異動した2年半から、少しずつ執着を手放しつつあったが、その時からキッパリと決別した。

 

すると、面白いことに、他人の執着が見えてきた。

たとえば、社内プロジェクトのミーティング。

「私が考えた」と、殊更に自分の手柄を主張する人もいれば、組織人の論理ーー決定権者は誰か、最短で決議するために誰に何をどう話せばいいかーーを重視する人もいる。

退職の話を切り出した途端、手のひら返して「女はすぐ辞めるから」と吐き捨てる人もいれば、今まで深く関わってこなかったのに、堰を切ったように説教、もとい仕事論を語り出す人もいる。

 

自分がひとつ手放した途端、見えてくる他人の執着。

何が良いとか悪いとかではなく、ただ、その事実が、興味深い。

 

まだまだ、私には手放せていない執着がある。

それを手放したら、どうなるのか?

ひとつ手放した先に、見える周りの人や風景は、どう姿形を変えるんだろう?

 

目の前のことに向き合いつつ、その変化を楽しんでいきたいなぁと思う。

「頑張ってるね」と言われない人になりたい。

「まりちゃん、頑張ってるね」

肩の力が入ってるように見えるのか、真面目な性格ゆえか、こう言われることが多い。

言う側からすれば、取り組む姿勢を評価しての、褒め言葉のつもりかもしれない。

でも、こう言われるたびに、私は悔しい気持ちになる。

 

努力を成果につなげている人に対しては、人はこの言葉を贈らない。

極端な話、村上春樹の新作が出て「彼は本当に頑張っている」とは言う人はいないだろう。

誰に言われるでもなく、彼は一定量の文章を書くことを日課とし、それを一つの小説作品という成果に結実させている。

(『職業としての小説家』Amazon CAPTCHA参照)

評価に値する、読者の心に響く作品がある。

 

「頑張ってるね」という言葉には、"評価する人"の視線と、「取り組む姿勢は評価するが、成果は評価しない」という含意がある。

取り組み姿勢を、評価して欲しいわけでない。成果を残したい。

そのために、ただなすべきことを、淡々とやっているだけ。

だから、この言葉をかけられると、悔しい気持ちになるのかもしれない。

 

「頑張ってるね」という言葉をかけられるうちは、自分はまだ未熟だ。

他人の言動に一喜一憂するのは、滑稽な話だが、その悔しさをバネにして、日々暮らしていきたい。

話を聞くことは、話を聞く以上でも以下でもない。

 

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知人主催の新年会に参加。そこで、話を聞くのがとても上手な方にお会いした。

 

「相手の求めているものを与える」Aさんとの出会い

仮に、その方をAさんとする。Aさんは、推定50代、営業から事務職まで、いろんな会社員経験を経て、現在は大家業と地域活動に勤しんでいる。

聞き上手、というと、自分から話さないイメージが強いが、Aさんは違った。

とにかく、よく喋る。いろんな話題を提供して、場を和ませる。

そして、話を聞くときは、聞く。決して、相手を否定しない。相手の話を踏まえて、相手が潜在的に欲しがっているものを瞬時に読み取り、与える。

一見簡単なようで難しいことを、さらっと難なくやってのける方だった。

そんなAさんのお人柄もあり、Aさんの周りには、たくさんの人が集まる。中には、Aさんに過度な期待や依存をして、「なんで私の気持ちをわかってくれないの?」と逆ギレされるなど、苦労も数知れずされていらっしゃるようだ。

 

「私の話を聞いて」依存体質だった20代前半

新年会の帰り道、ふと我が身を省みた。

20代前半の私は、「話を聞いて欲しい」かまってちゃんだった。

何者でもないのに、何者かになりたがり、世間の常識や周りの大人に反発した。「上司は、あの人は、わかってくれない」反発心を燻らせ、親身に話を聞いてくれる人にすがった。

「この人は、私のことをわかってくれる」

そう感じた人には、昼夜問わず、相談の電話やメールをした。相手が忙しくて私の話を聞けない時や、私が欲しい言葉をくれなかった時には「なんで私のこと、わかってくれないの?」と、被害者ヅラして悲しみにくれた。

……あぁ、もう!過去の私を蹴り飛ばしたい。

今なら、わかる。

「私のことわかってくれる」なんて、幻想だ。

自分が今何を求めているのか 、自分自身ですら、わからない。そんな自分のことを、赤の他人がわかるはずがない。

お世話になっていた人たちがしてくださっていたことは、ただ「話を聞く」こと。この一点に尽きる。それ以上でも以下でもなかったのだ。

 

因果応報ーー「以心伝心なんてクソくらえ」と心の中で叫んだ20代後半。

そんな私も、年をとり、20代後半に突入した。

シェアハウス生活を始め、徐々に過去の過ちを自覚するようになり、関係各位にお詫びをした。

そして、これぞ因果応報というべきか、今度は他人から「まりちゃんなら、わかってくれる」と依存されそうになる事態に直面した。

知らんがな。

声を大にして伝えたい本音を胸に秘め、相手の声に耳を傾けた。本来私が背負うべきではない相手の荷物まで、危うく背負いそうになったこともあった。

立場が逆転して初めて、私は、過去の自分の話を聞いてくれた人たちに感謝した。そして、自分もまた、話を聞くことは、それ以上でも以下でもない、と身を以て痛感したのだ。

 

話を聞くことは、話を聞く以上でも以下でもない。

しつこいようだが、声を大にして主張したい。

話を聞いてもらう行為への、過度な期待や依存は禁物。

逆に、話を聞く時には、過度な肩入れや責任感は不要。

そう肝に銘じて、聞いてくれる人には感謝して、日々生活していきたい。 

 

 

仕事始め、「仕事力とは何か?」を考える。

「仕事ができる人」の十人十色

仕事でお世話になっている個人事業主さんとの会話。

「仕事ができる人」とは、何なのか?

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組織や立場によって、「仕事ができる人」の定義は違う、と私は思う。

自分一人で仕事を完結させるスキルや自主性が、高く評価される組織もある。

チームで人を動かす、人を巻き込む力を持つ人が、より高く評価される組織もある。

一方で、役員に気に入られる社内営業力さえあれば、出世できる組織もある。その場合、ただ決められた事を決められた通りにやればいいから、特段思考力や独創性は必要とされないし、むしろ出る杭は打たれることになる。

 

いずれにせよ、必要なのは、結果を出す力。

そして、その「結果力」たる総合的な仕事力は、下記の要素から構成されるのでは?と考えた。

 

【「仕事力」の構成要素】

  • スキル
  • 思考力
  • 継続性
  • 自主性(工夫・情報整理・自分で学べる力)
  • 主体性(自分以外の事を、自分事として捉えて実行する力
  • 行動力(体力含む)
  • 人を動かす力
  • 発想の柔軟性
  • 協調性
  • 独創性

 

「仕事ができるようになりたい」まずは、自分の凹凸の把握から

仕事ができるようになりたい。

これは、入社以来の私の願いだ。そして、少なからず、この願いを持つ人はいるのではないか、と思う。

しかし、全ての要素を完璧にクリアするのは、おそらく難しい。

自分の凹凸と、その掛け合わせで推定される総合的な結果力を把握することが、第一歩なのではないか?

仕事始め、ふとそんなことを考えた。

 

 

 

余談1:

「結果力と、稼ぐ力は、別の次元」

 フリーランス個人事業主の方は、結果力を前提として、「稼ぐ」問題と向き合っている。

ここでは扱わないけど、稼ぐ力とは何ぞや?もまた、今後向き合う課題。

 

余談2:

以上、偉そうに書いたけど、これは自戒を込めたものでもある。下記は、その方にいただいた、私の仕事力評価。

*総合的な結果力→2〜3

  • スキル→4
  • 思考力→5
  • 継続性→4
  • 自主性→3〜4
  • 主体性→2
  • 行動力(体力含む)→3〜4
  • 人を動かす力→1
  • 発想の柔軟性→2〜3
  • 協調性→2
  • 独創性→1

総評はこちら。

「独創性、人を動かす力は、気にしなくていい。できる人に任せて、無理にやろうとする必要はない。伸ばすべきは、協調性。他人に対するマメさや粘り強さ。「●●さんの頼みだから、仕方ない、やるか!」と相手に思わせる力、つけた方がいいよ」

……。

…………。

的確すぎて、ぐうの音も出ないorz

他人事を自分事として捉え、実行する主体性と、他人と役割分担して進める、他人の力を気持ちよく借りる協調性。

今年は、この2つを意識して、 取り組んでいこう。

 

初詣は、新年の決意表明の場。

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三が日、家族で初詣に出かけた。

無事に新年を迎えられたことへのお礼・報告と、「今年は●月に××します。見守っていてください」と小さな決意を伝えた。

 

「….…でありますように」という台詞を、口にしなくなって久しい。

いつの頃からか、初詣で願い事をしなくなった。

願うだけでは、叶わないからだ。

たとえば、「彼氏ができますように!」と願った大学時代。モテを意識せず、出会う努力をしなかった当時の私に、彼氏はできなかった。

他にも「5kg痩せますように」「今年こそは転職できますように」等、行動しないゆえ、宙に消えた願い事は、山ほどあった。そして、1年を終えるたびに「今年は●●できなかった…」と後悔していた。

 

そうした自己嫌悪に疲れたのもあり、願い事はやめた。

 

初詣は、決意表明の場。

小さな決意を二つ、三つと宣言するうちに、少しずつ実現するようになった。

言霊という言葉の通り、言葉に魂が宿るのかもしれない。

そして、実現できたことに対しては、感謝の気持ちが生まれた。

実現できないこと、うまくいかないことに対しては「それでも生きていきます。よろしくお願いします」と、気持ちを切り替えるようになった。

 

唯一、家族の健康だけは、自分ではどうにもならない。

「家族みんな、心身健康で、生きていきます」強い願いに近い決意を、毎年、いの一番に伝えている。

 

初詣は、新年の決意表明の場。

この決意を胸に、今年も日々を丁寧に生きよう。

 

 

 

治すのではなく、抱えて生きる。

2017年10月末、父の末期癌が発覚した。

段階は、ステージ4、リンパへの転移も見られるとのこと。

黄疸が出て、急遽入院。家族みな動揺し、離れて暮らす私と姉も、揃って実家に帰省した。

幸いにも、入院後、父の容態は回復。1ヶ月後に退院し、12月初旬から、2週間治療入院・2週間自宅療養という日々が始まった。

 

年末年始は、ちょうど父の自宅療養のタイミングで、家族揃って年越しをした。

例年通り、大晦日に祖父宅に集合。お寿司を食べながら紅白を見て、ゆく年くる年を見ながら除夜の鐘を聞き、0時過ぎに、近所の神社へお参りに行った。

1日は、早起きをして、初日の出を拝んだ。こたつに入り、ニューイヤー駅伝を見ながら読書。読書に飽きたら、散歩。夜には、叔母一家も集まり、カニすきを食べた。

2日は、朝から箱根駅伝を見ながら、読書。

3日は、箱根駅伝のラジオを聞きながら、初詣へ。

 

いつもと変わらない、お正月。

ただ、1つだけ違っていたのは、父親の暮らしぶりだった。

起床・就寝時刻と血圧、排泄の時間と内容、毎食の献立と主な材料……日々の記録を、克明に残していた。

また、毎日決められた薬を飲み、決められた量の水を飲んでいた。これらもまた、記録の一つだった。

 

「癌なんて、嘘みたい。もうすっかり治ったよねぇ。誤診だったのかもしれんよ」

みなと変わらぬ食事を食べ、車の運転をし、生活する父を見るたびに、母は明るくこう言った。父は、黙っていた。

 

治す・治るとは、違う。病を抱えて生きる決意をしたのではないか?

淡々と生活をし、細々と記録を残す父を見て、ふとそう思った。

 

治すのではなく、抱えて生きる。

そう思ったとき、エリート姉の姿が、頭をよぎった。

 

姉は、私から見れば、非の付け所のない、完璧な人間だ。

不器用ながらも努力家で、自分で決めたことは必ず実現していた。現役で東大に入学、大手企業に就職。学業や仕事だけでなく、東大院卒の旦那と結婚して、2児を育てている。さらには、昨年夏にヘッドハンティングで転職、起業家としての活動も始めたという。

 

そんな姉と、昨年9月、久しぶりに会った。そこで、いろんな話をした。

「姉も、人間なんだなぁ」

その時の率直な感想は、こうだった。話す中で見えてきた姉の姿は、私が頭の中で思い描いていた「エリートなワーママ」ではなかった。姉は、悩みながらも、試行錯誤を繰り返す、ひとりの女性であり、仕事人であり、母親だった。

 

さらには、その後、姉の起業家活動を綴ったFacebookページを発見。東大で自分より優秀な人たちに囲まれ、入社した大企業には優秀な社員がたくさんいて、結婚した旦那は完璧なイクメンで……と、常に自分より上がいることを思い知らされる環境で、苦しかったという。その中で、資格や語学の取得に励み、努力を重ねたが、光は見えなかった、と述懐した。

過去の努力を経て、起業という道を選んだ姉。姉自身の発信する"今"は、何か憑き物が晴れたような、とても清々しい内容だ。「三が日はぐうたらに集中!」など、より一層、人間味にあふれている。そして、これまで見たことのない、晴れやかな表情をしていた。

 

不器用、片付けが苦手……

姉もまた、自分の欠点を克服する、治す、という方針から、抱えて生きるという方向に、舵を切ったのかもしれない。

 

病気は、治した方がいい。欠点は、ないに越したことはない。

病気を治す、欠点を克服する努力も、もちろん大切だと思う。

しかし、抱えて生きるという覚悟もまた、大切なのではないか?

淡々と記録し、病を抱えて生きる父の背中と、起業家として奮闘する姉の姿を見て、そんなことを考えた三が日だった。

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