まりもっこり日和

2018年3月末に退職、無職漂流記を綴ります。

朝起きて、行く場所がない。ーー無職漂流記#1

無職漂流記、はじめます。

2018年3月末、丸7年勤めた会社を退職した。

次を決めずに踏み切った退職。

無職の日々を無駄にしないよう、無職漂流記を更新します。

 

無職漂流記#1 2018年4月2日〜4月8日

【4月2日(月)】

朝6時半起床。7時15分、日課の朝ヨガと朝食を終えて、ふと気づく。

朝起きて、行く場所がない。

今日から有休消化スタート、会社に行く必要はないのだ。

少なからず、私はその事実に動揺した。

在職中に思い描いていたのとは違う形で、無職の日々はスタートを切った。

 

【4月3日(火)】

朝6時20分起床。昨晩は、0時45分就寝。丸7年の会社員生活で培われた体内時計は、職を離れてもなお、正確に時を刻んでいる。

午前中に、銀行や役所を終え、12時から昼休み。12時半から20分昼寝をして、ライターの仕事の取材の準備。どこまでも規則正しい時間割通りに動いている。

 

【4月4日(水)】

朝6時20分起床。午前中に、友人に依頼したインタビュー練習の原稿を書き、午後は、ライターの仕事の取材で都内へ。夜は、会社員の友人と新橋で飲む。会社員とたいして変わらぬスケジュールで動いた1日。

 

【4月5日(木)】

週の半ばで疲れが出たのか、朝の目覚めは8時半。前倒しの土曜日のような感触の1日。定期券の期限は本日まで、買い出しやら手続きやらに出かけなければ!と思うも、身体の声に耳を傾けて断念。午前中はゆっくり休み、午後は取材のテープ起こし、夜は行きつけの整体院まで1時間半かけて行く。

 

【4月6日(金)】

朝6時半起床。午前中は、フリーランスで働く友人と打ち合わせ。WEBメディアを立ち上げるとのこと。仕事ではなく、遊び心で文章を書きたいと思っていた矢先の話、参画を決める。

運動も兼ねて、自転車で2時間かけて出かけたが、夕方の帰り際に雨に降られる。

 

【4月7日(金)】

朝6時半起床。午前中は、友人とモーニングを食べに、渋谷のVIRONまで。

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午後は、三軒茶屋の行きつけの美容院へ。伸ばしていた髪をバッサリ切る。

退職後は、今の住まいを離れる。在職中の決意を思い出し、ようやく準備に取りかかる。

 

【4月8日(日)】

朝6時半起床。荷作り、読書、掃除の1日。夜は友人と外食。折しもその友人も退職を決め、独立に向けて準備するとのこと。友人の門出を祝う。

 

 

 

「アイミスユー」を、忘れていた。

「お前と課長とのコンビネーションは抜群だったからな。お前が辞めるのは寂しいよ」

3月末をもって、丸7年勤めた会社を退職した。

退職直前、当時の上司だった部長は、しきりにこう言っていた。

 

私は、この発言の意味がわからなかった。

 

人間関係は、フォークダンス。

f:id:marimoccoli:20180504233037p:image人との出会いと別れといえば、私はきまって、小学生の頃のフォークダンスを思い出す。

出会って手をつなぎ、音楽が流れている間、楽しく踊る。

いつか、音楽は止まり、別れの時が来る。

お辞儀をして、次のパートナーへと移っていく。

縁があれば、再び出会う。一方で、一度きり、二度と出会わない人もいる。

フォークダンスは、その繰り返しだ。

 

人間関係もまた、しかり。

「人間関係は、フォークダンス」の発想からすると、出会いと別れはコインの表裏の必然であり、別れた後には、その穴を埋める別の誰かが現れる。

人と別れることに対して、特別な感傷を抱かない。

特に、会社員の場合、必要なのは「業務を遂行する従業員」であり、特定の個人ではない。

退職にあたって重要なのは、立つ鳥跡を濁さず、業務に穴を開けないための引継ぎである。

それ以上でも以下でもない。

 

ゆえに、部長がなぜ、私の退職を「寂しい」と捉えるのかが、わからない。

単なる人の移動に対して、感傷的になりすぎているのでは?

そう思っていた。

 

会えなくなるということ。

f:id:marimoccoli:20180505003132j:image退職したら、今の住まいを離れる。

心に決めていたことを、学生時代の戦友に報告した。

その友人は、環境は違えど、社会人1-2年目の苦境を共にした同志。

互いに自分の生活を楽しみ、月1で会うこともあれば、1年近く会わないこともある。

「ふーん、行ってらっしゃい」と軽く流されるかと思いきや、開口一番、友人は意外な言葉を口にした。

「会わないのと会えないのは違う。会いたい時に会えなくなるのは、寂しい」

その言葉に、私は、はっとした。

 

共に時を過ごした誰かに会えなくなることは、寂しい。

この感情を、私はすっかり忘れていた。

 

流れ板、流れる。痕跡は、残る。

4年連続で引越しをし、3年半で3軒のシェアハウス生活を経験した。

その間に、仕事の異動があった。

内部監査人として、他の社員の入社・退職、異動を目の当たりにした。

そんな諸行無常を体感する日々の中で、「流れ」にばかり気を取られていたのかもしれない。

流れ板は、流れる。

しかし、その痕跡は、少なからず残る。

人がいなくなるということには、寂しいという感情が伴うこともある。

心のどこかに置き忘れていた「アイミスユー」を、大切な友人が思い出させてくれた。

 

 

つくり手の顔が見える、という価値。

2018年1月末、高崎のREBEL BOOKSで開催された、夏葉社・島田潤一郎さんのトークイベントに足を運んだ。
1/21 『よい本を作って売る – ひとり出版社夏葉社のはなし』 – REBEL BOOKS

f:id:marimoccoli:20180301125329p:image※画像は、上記HPより拝借。

鈍行で3時間、このためだけに高崎へ。
そんな私を、人は酔狂と言うかもしれない。

まさに酔狂、私はこの夏葉社さんの本が好きだ。

 

夏葉社とは
夏葉社とは、2009年に島田潤一郎さんが吉祥寺で創業した、ひとり出版社である。
2009年の開業以来、関口良雄『昔日の客』をはじめとした昭和の名著の復刊や、本屋図鑑、かわいい夫といった気鋭の作家の作品に至るまで、派手さはないけど、心に残る、何度も読み返したくなる本づくりを続けている。

厚すぎず大きすぎない本のサイズと、読み手を圧迫しない適度な余白、飾りすぎない、作品の世界観にしっくりくるシンプルな装丁。
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鞄の中に入っていると思わずうれしくなる、読み終えるのが心惜しくなる。

この本たちを、一体どんな方が作っているんだろう?
その好奇心だけで、高崎まで足を伸ばしたのだ。


「簡素で、美しい本をつくりたい」
創業の経緯、夏葉社の本作り、夏葉社のこれからについて語った後、島田さんは静かにこう話した。
島田さんの言葉は、島田さんが作る本と同様に、とてもシンプルで、それゆえに心に響くものだった。

 

お金を払って買う本と、無料で手に入る情報。

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本は、情報と等価ではない、と私は思う。
ただ、無料で洪水のように浴びる文字情報との差別化は、年々難しくなっているように感じる。

そんな時、本にお金を払う価値を見出すきっかけの一つは、つくり手との接点なのかもしれない。
つくり手にお会いすることで、好きな本の物語だけではなく、その本ができあがるまでの物語や、つくり手自身の物語を楽しむことができる。
直接の対面ならではの、その場限りの質疑応答で、本やつくり手の意外な側面を垣間見ることができる。
1冊の本を、数倍楽しむことができる。

インターネットで文字情報の洪水に晒されている今、何に価値を見出して、本にお金を払うのか?

「つくり手の顔が見えること」は、それだけでも、大きな付加価値だなぁと感じました。

ひとつ執着を手放すと、他人の執着が見えてくる。

f:id:marimoccoli:20180209080023j:image丸7年勤めた会社を退職する決意をした。上司に意向を伝えて、時期や引継ぎ等、具体的に話を進めている。

 

退職時期を固めた、昨年末。

退職までのカウントダウン、たとえ納得がいかないことがあったとしても、すっと受け入れて働こう、と決めた。

今の部署に異動した2年半から、少しずつ執着を手放しつつあったが、その時からキッパリと決別した。

 

すると、面白いことに、他人の執着が見えてきた。

たとえば、社内プロジェクトのミーティング。

「私が考えた」と、殊更に自分の手柄を主張する人もいれば、組織人の論理ーー決定権者は誰か、最短で決議するために誰に何をどう話せばいいかーーを重視する人もいる。

退職の話を切り出した途端、手のひら返して「女はすぐ辞めるから」と吐き捨てる人もいれば、今まで深く関わってこなかったのに、堰を切ったように説教、もとい仕事論を語り出す人もいる。

 

自分がひとつ手放した途端、見えてくる他人の執着。

何が良いとか悪いとかではなく、ただ、その事実が、興味深い。

 

まだまだ、私には手放せていない執着がある。

それを手放したら、どうなるのか?

ひとつ手放した先に、見える周りの人や風景は、どう姿形を変えるんだろう?

 

目の前のことに向き合いつつ、その変化を楽しんでいきたいなぁと思う。

「頑張ってるね」と言われない人になりたい。

「まりちゃん、頑張ってるね」

肩の力が入ってるように見えるのか、真面目な性格ゆえか、こう言われることが多い。

言う側からすれば、取り組む姿勢を評価しての、褒め言葉のつもりかもしれない。

でも、こう言われるたびに、私は悔しい気持ちになる。

 

努力を成果につなげている人に対しては、人はこの言葉を贈らない。

極端な話、村上春樹の新作が出て「彼は本当に頑張っている」とは言う人はいないだろう。

誰に言われるでもなく、彼は一定量の文章を書くことを日課とし、それを一つの小説作品という成果に結実させている。

(『職業としての小説家』Amazon CAPTCHA参照)

評価に値する、読者の心に響く作品がある。

 

「頑張ってるね」という言葉には、"評価する人"の視線と、「取り組む姿勢は評価するが、成果は評価しない」という含意がある。

取り組み姿勢を、評価して欲しいわけでない。成果を残したい。

そのために、ただなすべきことを、淡々とやっているだけ。

だから、この言葉をかけられると、悔しい気持ちになるのかもしれない。

 

「頑張ってるね」という言葉をかけられるうちは、自分はまだ未熟だ。

他人の言動に一喜一憂するのは、滑稽な話だが、その悔しさをバネにして、日々暮らしていきたい。

話を聞くことは、話を聞く以上でも以下でもない。

 

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知人主催の新年会に参加。そこで、話を聞くのがとても上手な方にお会いした。

 

「相手の求めているものを与える」Aさんとの出会い

仮に、その方をAさんとする。Aさんは、推定50代、営業から事務職まで、いろんな会社員経験を経て、現在は大家業と地域活動に勤しんでいる。

聞き上手、というと、自分から話さないイメージが強いが、Aさんは違った。

とにかく、よく喋る。いろんな話題を提供して、場を和ませる。

そして、話を聞くときは、聞く。決して、相手を否定しない。相手の話を踏まえて、相手が潜在的に欲しがっているものを瞬時に読み取り、与える。

一見簡単なようで難しいことを、さらっと難なくやってのける方だった。

そんなAさんのお人柄もあり、Aさんの周りには、たくさんの人が集まる。中には、Aさんに過度な期待や依存をして、「なんで私の気持ちをわかってくれないの?」と逆ギレされるなど、苦労も数知れずされていらっしゃるようだ。

 

「私の話を聞いて」依存体質だった20代前半

新年会の帰り道、ふと我が身を省みた。

20代前半の私は、「話を聞いて欲しい」かまってちゃんだった。

何者でもないのに、何者かになりたがり、世間の常識や周りの大人に反発した。「上司は、あの人は、わかってくれない」反発心を燻らせ、親身に話を聞いてくれる人にすがった。

「この人は、私のことをわかってくれる」

そう感じた人には、昼夜問わず、相談の電話やメールをした。相手が忙しくて私の話を聞けない時や、私が欲しい言葉をくれなかった時には「なんで私のこと、わかってくれないの?」と、被害者ヅラして悲しみにくれた。

……あぁ、もう!過去の私を蹴り飛ばしたい。

今なら、わかる。

「私のことわかってくれる」なんて、幻想だ。

自分が今何を求めているのか 、自分自身ですら、わからない。そんな自分のことを、赤の他人がわかるはずがない。

お世話になっていた人たちがしてくださっていたことは、ただ「話を聞く」こと。この一点に尽きる。それ以上でも以下でもなかったのだ。

 

因果応報ーー「以心伝心なんてクソくらえ」と心の中で叫んだ20代後半。

そんな私も、年をとり、20代後半に突入した。

シェアハウス生活を始め、徐々に過去の過ちを自覚するようになり、関係各位にお詫びをした。

そして、これぞ因果応報というべきか、今度は他人から「まりちゃんなら、わかってくれる」と依存されそうになる事態に直面した。

知らんがな。

声を大にして伝えたい本音を胸に秘め、相手の声に耳を傾けた。本来私が背負うべきではない相手の荷物まで、危うく背負いそうになったこともあった。

立場が逆転して初めて、私は、過去の自分の話を聞いてくれた人たちに感謝した。そして、自分もまた、話を聞くことは、それ以上でも以下でもない、と身を以て痛感したのだ。

 

話を聞くことは、話を聞く以上でも以下でもない。

しつこいようだが、声を大にして主張したい。

話を聞いてもらう行為への、過度な期待や依存は禁物。

逆に、話を聞く時には、過度な肩入れや責任感は不要。

そう肝に銘じて、聞いてくれる人には感謝して、日々生活していきたい。 

 

 

仕事始め、「仕事力とは何か?」を考える。

「仕事ができる人」の十人十色

仕事でお世話になっている個人事業主さんとの会話。

「仕事ができる人」とは、何なのか?

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組織や立場によって、「仕事ができる人」の定義は違う、と私は思う。

自分一人で仕事を完結させるスキルや自主性が、高く評価される組織もある。

チームで人を動かす、人を巻き込む力を持つ人が、より高く評価される組織もある。

一方で、役員に気に入られる社内営業力さえあれば、出世できる組織もある。その場合、ただ決められた事を決められた通りにやればいいから、特段思考力や独創性は必要とされないし、むしろ出る杭は打たれることになる。

 

いずれにせよ、必要なのは、結果を出す力。

そして、その「結果力」たる総合的な仕事力は、下記の要素から構成されるのでは?と考えた。

 

【「仕事力」の構成要素】

  • スキル
  • 思考力
  • 継続性
  • 自主性(工夫・情報整理・自分で学べる力)
  • 主体性(自分以外の事を、自分事として捉えて実行する力
  • 行動力(体力含む)
  • 人を動かす力
  • 発想の柔軟性
  • 協調性
  • 独創性

 

「仕事ができるようになりたい」まずは、自分の凹凸の把握から

仕事ができるようになりたい。

これは、入社以来の私の願いだ。そして、少なからず、この願いを持つ人はいるのではないか、と思う。

しかし、全ての要素を完璧にクリアするのは、おそらく難しい。

自分の凹凸と、その掛け合わせで推定される総合的な結果力を把握することが、第一歩なのではないか?

仕事始め、ふとそんなことを考えた。

 

 

 

余談1:

「結果力と、稼ぐ力は、別の次元」

 フリーランス個人事業主の方は、結果力を前提として、「稼ぐ」問題と向き合っている。

ここでは扱わないけど、稼ぐ力とは何ぞや?もまた、今後向き合う課題。

 

余談2:

以上、偉そうに書いたけど、これは自戒を込めたものでもある。下記は、その方にいただいた、私の仕事力評価。

*総合的な結果力→2〜3

  • スキル→4
  • 思考力→5
  • 継続性→4
  • 自主性→3〜4
  • 主体性→2
  • 行動力(体力含む)→3〜4
  • 人を動かす力→1
  • 発想の柔軟性→2〜3
  • 協調性→2
  • 独創性→1

総評はこちら。

「独創性、人を動かす力は、気にしなくていい。できる人に任せて、無理にやろうとする必要はない。伸ばすべきは、協調性。他人に対するマメさや粘り強さ。「●●さんの頼みだから、仕方ない、やるか!」と相手に思わせる力、つけた方がいいよ」

……。

…………。

的確すぎて、ぐうの音も出ないorz

他人事を自分事として捉え、実行する主体性と、他人と役割分担して進める、他人の力を気持ちよく借りる協調性。

今年は、この2つを意識して、 取り組んでいこう。