まりもっこり日和

映画、読書、料理、時々日常。日々の暮らしを丁寧に。

治すのではなく、抱えて生きる。

2017年10月末、父の末期癌が発覚した。

段階は、ステージ4、リンパへの転移も見られるとのこと。

黄疸が出て、急遽入院。家族みな動揺し、離れて暮らす私と姉も、揃って実家に帰省した。

幸いにも、入院後、父の容態は回復。1ヶ月後に退院し、12月初旬から、2週間治療入院・2週間自宅療養という日々が始まった。

 

年末年始は、ちょうど父の自宅療養のタイミングで、家族揃って年越しをした。

例年通り、大晦日に祖父宅に集合。お寿司を食べながら紅白を見て、ゆく年くる年を見ながら除夜の鐘を聞き、0時過ぎに、近所の神社へお参りに行った。

1日は、早起きをして、初日の出を拝んだ。こたつに入り、ニューイヤー駅伝を見ながら読書。読書に飽きたら、散歩。夜には、叔母一家も集まり、カニすきを食べた。

2日は、朝から箱根駅伝を見ながら、読書。

3日は、箱根駅伝のラジオを聞きながら、初詣へ。

 

いつもと変わらない、お正月。

ただ、1つだけ違っていたのは、父親の暮らしぶりだった。

起床・就寝時刻と血圧、排泄の時間と内容、毎食の献立と主な材料……日々の記録を、克明に残していた。

また、毎日決められた薬を飲み、決められた量の水を飲んでいた。これらもまた、記録の一つだった。

 

「癌なんて、嘘みたい。もうすっかり治ったよねぇ。誤診だったのかもしれんよ」

みなと変わらぬ食事を食べ、車の運転をし、生活する父を見るたびに、母は明るくこう言った。父は、黙っていた。

 

治す・治るとは、違う。病を抱えて生きる決意をしたのではないか?

淡々と生活をし、細々と記録を残す父を見て、ふとそう思った。

 

治すのではなく、抱えて生きる。

そう思ったとき、エリート姉の姿が、頭をよぎった。

 

姉は、私から見れば、非の付け所のない、完璧な人間だ。

不器用ながらも努力家で、自分で決めたことは必ず実現していた。現役で東大に入学、大手企業に就職。学業や仕事だけでなく、東大院卒の旦那と結婚して、2児を育てている。さらには、昨年夏にヘッドハンティングで転職、起業家としての活動も始めたという。

 

そんな姉と、昨年9月、久しぶりに会った。そこで、いろんな話をした。

「姉も、人間なんだなぁ」

その時の率直な感想は、こうだった。話す中で見えてきた姉の姿は、私が頭の中で思い描いていた「エリートなワーママ」ではなかった。姉は、悩みながらも、試行錯誤を繰り返す、ひとりの女性であり、仕事人であり、母親だった。

 

さらには、その後、姉の起業家活動を綴ったFacebookページを発見。東大で自分より優秀な人たちに囲まれ、入社した大企業には優秀な社員がたくさんいて、結婚した旦那は完璧なイクメンで……と、常に自分より上がいることを思い知らされる環境で、苦しかったという。その中で、資格や語学の取得に励み、努力を重ねたが、光は見えなかった、と述懐した。

過去の努力を経て、起業という道を選んだ姉。姉自身の発信する"今"は、何か憑き物が晴れたような、とても清々しい内容だ。「三が日はぐうたらに集中!」など、より一層、人間味にあふれている。そして、これまで見たことのない、晴れやかな表情をしていた。

 

不器用、片付けが苦手……

姉もまた、自分の欠点を克服する、治す、という方針から、抱えて生きるという方向に、舵を切ったのかもしれない。

 

病気は、治した方がいい。欠点は、ないに越したことはない。

病気を治す、欠点を克服する努力も、もちろん大切だと思う。

しかし、抱えて生きるという覚悟もまた、大切なのではないか?

淡々と記録し、病を抱えて生きる父の背中と、起業家として奮闘する姉の姿を見て、そんなことを考えた三が日だった。

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