ひとりが好きな自分で生きる。
「まりちゃんは、ひとりでいるのが好きなんだよ。無理に他人とつながろうとしなくても、そのままでいいんだよ」
友人の一言に、積年の呪いから解放された。
小さい頃から、ひとりでいるのが好きだった。
裏を返せば、他人と共に過ごすこと、特に集団行動が苦手だった。
中高時代の派閥や集団の輪に、なじめない。
どれだけ仲の良い友達でも、三人組になった瞬間、歩調を上手く合わせられずに、どうしても、2対1の関係になってしまう……。
しかし、だからといって、集団行動を良しとする世間の価値観の中で、ひとりを貫ける勇気はなかった。
ひとりが好きなこと・集団に馴染めないことを、自分の欠点と捉え、ずっとうしろめたさを感じていた。
欠点は、克服すべきもの。
誰に強制されたわけでもないが、自分の思い込みに縛られて、集団というパズルのピースになろうとした。
料理が苦手、掃除ができないといった欠点ならば、別に克服する必要はない。お金を払えば、他の誰かがやってくれる。
しかし、他人と関わって生きることを、お金で他人に代行してもらうことはできない。
仕事では、他人の期待に応える対価として、報酬が支払われる。
人は、ひとりでは生きられないーーー。
世間の価値観を鵜呑みにして、ずっと、集団の中で生きようともがいてきた。
20代は、人と関わる・集団の中で生きるための、試行錯誤、修行の10年間だった。
「役割を果たせば、他人と関わることができるのでは」と、サークルや大学のゼミの運営に奮闘した大学時代。
「他人と関わることを仕事にすれば、苦手意識は克服できるのでは」と、決して得意ではない営業職を選び、働き続けた20代。
「仕事だけでなく、日常に他人を介入させれば、集団に慣れるのでは」と、半ば荒療治でシェアハウス生活を始め、運営の手伝いや新規立ち上げにも関わった20代後半。
「誰と、どんな距離感で、関わりたいのか?」
その問いが、ごっそり抜け落ちたまま、人との関わりを模索していた。
そして、案の定、10年間は、暗中模索の日々だった。
時に、自分がどうありたいのか、見失いそうになりながらも、また時に、背負う必要のない責任を背負って苦しみながらも、他人との距離の取り方や、集団の中での役割、立ち入る/立ち入らない部分……etc.、常に体当たりで試行錯誤を繰り返した。
ありがたいことに、周りの人に恵まれて、暗闇の中に光が射す瞬間が、幾度もあった。
誰かと共に過ごすことも、集団行動も、10年前よりは、つまづくことは少なくなった。
しかし、人間そう簡単には、変わらない。
ひとりが好き、という、自分の根っこにあるものを、変えることはできなかった。
そして、30代に突入。
31歳の誕生日を迎えた2ヶ月後の今年8月、3年半暮らしたシェアハウスを出て、一人暮らしを再開した。
何もない8畳の1Rに、自分で選んだ家具・家電を置いて、自分が休む空間を作っていく。とにかく楽しかった。今も、一人暮らしに喜びを感じている。
「ひとりが好きな自分で生きよう」
1年の終わりを前に、巡り巡って、ようやくこの決意が固まった。そして、決意した矢先に、冒頭の友人の言葉で、ずっと抱えていたうしろめたさから解放された。
決して、集団や人との関わりを拒むわけではない。
ひとりが好きな自分で、人と関わる、人と過ごす時間を大切にする。
そう決めたら、不思議なことに、人と関わりたいと思う気持ちが芽生えた。これからが楽しみだ。