まりもっこり日和

2018年3月末に退職、無職漂流記を綴ります。

「アイミスユー」を、忘れていた。

「お前と課長とのコンビネーションは抜群だったからな。お前が辞めるのは寂しいよ」

3月末をもって、丸7年勤めた会社を退職した。

退職直前、当時の上司だった部長は、しきりにこう言っていた。

 

私は、この発言の意味がわからなかった。

 

人間関係は、フォークダンス。

f:id:marimoccoli:20180504233037p:image人との出会いと別れといえば、私はきまって、小学生の頃のフォークダンスを思い出す。

出会って手をつなぎ、音楽が流れている間、楽しく踊る。

いつか、音楽は止まり、別れの時が来る。

お辞儀をして、次のパートナーへと移っていく。

縁があれば、再び出会う。一方で、一度きり、二度と出会わない人もいる。

フォークダンスは、その繰り返しだ。

 

人間関係もまた、しかり。

「人間関係は、フォークダンス」の発想からすると、出会いと別れはコインの表裏の必然であり、別れた後には、その穴を埋める別の誰かが現れる。

人と別れることに対して、特別な感傷を抱かない。

特に、会社員の場合、必要なのは「業務を遂行する従業員」であり、特定の個人ではない。

退職にあたって重要なのは、立つ鳥跡を濁さず、業務に穴を開けないための引継ぎである。

それ以上でも以下でもない。

 

ゆえに、部長がなぜ、私の退職を「寂しい」と捉えるのかが、わからない。

単なる人の移動に対して、感傷的になりすぎているのでは?

そう思っていた。

 

会えなくなるということ。

f:id:marimoccoli:20180505003132j:image退職したら、今の住まいを離れる。

心に決めていたことを、学生時代の戦友に報告した。

その友人は、環境は違えど、社会人1-2年目の苦境を共にした同志。

互いに自分の生活を楽しみ、月1で会うこともあれば、1年近く会わないこともある。

「ふーん、行ってらっしゃい」と軽く流されるかと思いきや、開口一番、友人は意外な言葉を口にした。

「会わないのと会えないのは違う。会いたい時に会えなくなるのは、寂しい」

その言葉に、私は、はっとした。

 

共に時を過ごした誰かに会えなくなることは、寂しい。

この感情を、私はすっかり忘れていた。

 

流れ板、流れる。痕跡は、残る。

4年連続で引越しをし、3年半で3軒のシェアハウス生活を経験した。

その間に、仕事の異動があった。

内部監査人として、他の社員の入社・退職、異動を目の当たりにした。

そんな諸行無常を体感する日々の中で、「流れ」にばかり気を取られていたのかもしれない。

流れ板は、流れる。

しかし、その痕跡は、少なからず残る。

人がいなくなるということには、寂しいという感情が伴うこともある。

心のどこかに置き忘れていた「アイミスユー」を、大切な友人が思い出させてくれた。