まりもっこり日和

2018年3月末に退職、無職漂流記を綴ります。

話を聞くことは、話を聞く以上でも以下でもない。

 

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知人主催の新年会に参加。そこで、話を聞くのがとても上手な方にお会いした。

 

「相手の求めているものを与える」Aさんとの出会い

仮に、その方をAさんとする。Aさんは、推定50代、営業から事務職まで、いろんな会社員経験を経て、現在は大家業と地域活動に勤しんでいる。

聞き上手、というと、自分から話さないイメージが強いが、Aさんは違った。

とにかく、よく喋る。いろんな話題を提供して、場を和ませる。

そして、話を聞くときは、聞く。決して、相手を否定しない。相手の話を踏まえて、相手が潜在的に欲しがっているものを瞬時に読み取り、与える。

一見簡単なようで難しいことを、さらっと難なくやってのける方だった。

そんなAさんのお人柄もあり、Aさんの周りには、たくさんの人が集まる。中には、Aさんに過度な期待や依存をして、「なんで私の気持ちをわかってくれないの?」と逆ギレされるなど、苦労も数知れずされていらっしゃるようだ。

 

「私の話を聞いて」依存体質だった20代前半

新年会の帰り道、ふと我が身を省みた。

20代前半の私は、「話を聞いて欲しい」かまってちゃんだった。

何者でもないのに、何者かになりたがり、世間の常識や周りの大人に反発した。「上司は、あの人は、わかってくれない」反発心を燻らせ、親身に話を聞いてくれる人にすがった。

「この人は、私のことをわかってくれる」

そう感じた人には、昼夜問わず、相談の電話やメールをした。相手が忙しくて私の話を聞けない時や、私が欲しい言葉をくれなかった時には「なんで私のこと、わかってくれないの?」と、被害者ヅラして悲しみにくれた。

……あぁ、もう!過去の私を蹴り飛ばしたい。

今なら、わかる。

「私のことわかってくれる」なんて、幻想だ。

自分が今何を求めているのか 、自分自身ですら、わからない。そんな自分のことを、赤の他人がわかるはずがない。

お世話になっていた人たちがしてくださっていたことは、ただ「話を聞く」こと。この一点に尽きる。それ以上でも以下でもなかったのだ。

 

因果応報ーー「以心伝心なんてクソくらえ」と心の中で叫んだ20代後半。

そんな私も、年をとり、20代後半に突入した。

シェアハウス生活を始め、徐々に過去の過ちを自覚するようになり、関係各位にお詫びをした。

そして、これぞ因果応報というべきか、今度は他人から「まりちゃんなら、わかってくれる」と依存されそうになる事態に直面した。

知らんがな。

声を大にして伝えたい本音を胸に秘め、相手の声に耳を傾けた。本来私が背負うべきではない相手の荷物まで、危うく背負いそうになったこともあった。

立場が逆転して初めて、私は、過去の自分の話を聞いてくれた人たちに感謝した。そして、自分もまた、話を聞くことは、それ以上でも以下でもない、と身を以て痛感したのだ。

 

話を聞くことは、話を聞く以上でも以下でもない。

しつこいようだが、声を大にして主張したい。

話を聞いてもらう行為への、過度な期待や依存は禁物。

逆に、話を聞く時には、過度な肩入れや責任感は不要。

そう肝に銘じて、聞いてくれる人には感謝して、日々生活していきたい。